卒業生の声
なぜ正しいことが実現されないのか
子供の頃から社会問題に興味を持っていた小林俊介さん。特に行政の問題に関心があり、たとえば“行政の施策や対応に問題がある”などというニュースを見るたび「なぜ、みんなが正しいと思っていることを実現できないのだろう」と子供心に不思議に思っていたという。小林さんが本学の人文社会学部を選んだのは、子供の頃から抱いていたそんな疑問を解決するためでもあった。
「当時の人文社会学部は、社会で実際に起こっているニュースを題材にしてみんなで意見を出し、討議するというスタイルが多かったように思います」。
2年生になると、彼は石川洋明助教授の基礎ゼミに参加した。
「面白かったのは、ゼミ名物の『150字作文』でした。時事問題や日々の出来事などに関する自分の意見を150字程度でまとめ、全員で回読するというもので、自分の考えを簡潔に人に伝える力がつきました」。
こうして先生や友人たちと多くの議論を重ね、世の中にはいろいろな問題があることを知った。そして日本の行政だけでなく、社会構造や教育、経済など、彼はさまざまな分野へと興味の対象を広げていった。
社会に対する視野が広がるに従い、子供の頃から彼が抱いていた疑問はより具体的になっていった。特に彼が不思議に思っていたのは、日本的な慣習であると言われる『根回し』や『調整』の存在だった。
「正しいことなら、根回しや調整という面倒な手続きがなくても進むはずです。でも、日本の政治や行政の世界は、『正しさ』とは直接関係のない『人間関係』で物事が動いているように感じられ、批判的な印象を持っていました」。
この問題を深く調べるため、3年生になると彼は政治社会学やメディア研究を専門とする飯島伸彦助教授のゼミを選んだ。
「当初のゼミのテーマは『日本型社会システム』でしたが、集まったゼミ生のテーマはとてもバラエティに富んでいました」。
小林さんが選んだテーマは「日本の汚職」について。他にも「現代日本の選挙」や「ウクライナ民族問題」、「宗教と組織」など、学生の研究テーマは多種多様だった。毎週、そんな学生同士が激しい議論を戦わせ、先生は静かにそれを見守るというのがゼミの恒例だった。
「大学では、多くの人と社会のさまざまな問題について話し合うことができました。そしてたくさんの意見を聞いて『そういう見方もあるのか』と発見できたことが、その後の私の人生で大いに役立っていると思います」。
公務員になって発見したこと
政治?行政の他にITにも興味があった小林さんは、IT関連企業を中心に就職活動を行い、某システム開発企業から内定をもらっていた。しかし勤務地が東京だったため、その企業に進むべきか迷っていた。そんな中、子供の頃から興味を持っていた行政の仕事に対する関心は、徐々に高まっていった。
「名古屋市職員の採用試験には法律?経済?行政一般といった試験区分があり、当時の行政一般の試験は教養試験と小論文?集団討論だけでしたから、法律や経済といった専門試験の対策をしていない自分でも可能性はあると思ったんです。とはいえ、かなりの難関でしたから、駄目で元々という気持ちで挑戦しました」。
そして、彼は見事に合格通知を手にした。
「自分でも信じられませんでした。もちろん試験に向けて教養試験の勉強はしてきたつもりですが、もしかしたら大学時代に多くの討論を重ねてきた経験が、集団討論で役に立ったのかも知れません」。
本学卒業後、彼は西区役所の山田支所に配属になり、固定資産税の賦課徴収の仕事を担当した。初めて内側から見る公務員の世界は、驚くことばかりだった。
「税金の計算がこんなに複雑なものだとは思ってもいませんでした。とにかく最初のうちは、税金の仕組みについて徹底的に研修を受けました」。
そしてもう一つ、彼は驚いたことがある。
「学生時代、公務員とは『法令で決まったことを淡々とこなすだけの仕事』というイメージでした。しかし私が支所で出会った先輩はとても正義感が強く、前向きに仕事に取り組む熱い人ばかりでした」。
法令通りに処理するのは当たり前。公務員の本当の仕事とは、その法令の裏側にある意図や、関わる人の立場をきちんと考慮し、どうすれば市民に公正?公平なサービスを提供できるか考えること。熱い先輩からそんな言葉を聞くたび、彼が公務員や行政に対して持っていたイメージは大きく変わっていった。
絶対的な正しさとは何だろう
その後、彼は健康福祉局で医療費の支払事務を担当した後、市民経済局では財団法人の経理課長などを経験した。どちらも個人や家庭、法人のお金に関わる業務である。
「学生時代、数学は苦手だったのですが、勉強するうちに数字の面白さが分かってきたように思います」。
それと同時に、彼は気づいたことがある。
「税金や医療費、会計といった、私たちが扱う数字はさまざまな法令や基準が関係しているため、とても計算方法が複雑です。しかも数字の解釈の仕方が一面的ではないため、見方によって同じ数字でも、結果は良くも悪くもなるんです」。
実際、ある人にとって嬉しいことでも、別の人が見れば決して嬉しくないというケースは数多く存在する。しかし、公務員は誰に対しても公平な価値を提供しなくてはならない。そこにジレンマがある。
「公務員になって一番の変化は、全員が正しいと思えるようなことは世の中に存在しないんじゃないだろうか、と思うようになったことでした」。
この世に絶対的に正しいことがないということは、対立した人々の意見や立場を調整する必要があるということでもある。彼は最近、学生の頃に彼自身が考えていた『正しければ、人間関係など考慮しなくても物事は進むはず』という信念は本当に正しかったのだろうか、という疑問を感じているという。
「それは自分が成長し、さらに視野が広がった結果だと思っています」。
その意味で、本学で学んだ『現実社会のさまざまな問題について自分の頭で考え、視野を広げていく』というスタイルは、今も彼の中で生きているのだ。
「もちろん、今でも文章をまとめる時には、あの『150字作文』を常に意識しています」。
今後はもっと財務や会計のことを勉強し、今まで経験してきた分野の仕事により深く関わっていきたいと意欲を見せる小林さん。これからも彼はさまざまな疑問を抱き、悩みながら乗り越えていくに違いない。そしてこれからも、彼は成長し続けていくのだ。
プロフィール
小林俊介さん
名古屋市役所
[略歴]
2000年 足球彩票 人文社会学部 卒業
名古屋市役所 入庁(西区役所山田支所)
2003年 健康福祉局 生活福祉部 医療福祉課
2009年 市民経済局付主査
(財団法人 名古屋都市産業振興公社?新事業支援課長)
2010年 (同公社?経理課長)
2012年 市民経済局 市民生活部 中央卸売市場南部市場?主査
人文社会学部の一期生だけに、先生と学生の距離が近くて毎日が楽しかったという小林さん。一方、先輩がいなかったために授業の履修のアドバイスがもらえずに困ったこともあったという。ということは当然、人文社会学部から名古屋市の職員になったのは彼が第一号ということになる。ところで名古屋市役所には本学の出身者が多く、大学の話題で盛り上がることも少なくないという。「でもなかなか同じ学部や学科で集まって話す機会はないんです。これからは、そういったつながりも大切にしていきたいですね」。本学の絆は、今も彼の中で生き続けている。