在学生の声
もう一度、経営学を学ぶ
現在、経済学研究科で経営学を専攻する神谷宜泰さんは、永年ビジネスの第一線で活躍した後、思うところあって本学大学院の門をたたいた。
神谷さんは現在59歳。東京の大学を1977年に卒業し、実家の醸造会社を継ぐために地元である愛知に戻ってきた。そこでまず経営を学ぶため、地域の金融機関に入職。主に海外業務を担当し、カリフォルニア?ファースト?バンク(現ユニオンバンク)への研修などを経験し、国際業務の立ち上げを担ってきた。
しかし1989年、彼が35歳の時に自動車部品メーカーを経営していた義父が他界。会社を継承した義兄に請われ、その会社の経営陣に加わることになった。
「当時は社員数90名前後、売上も40億円程度の中小メーカーでした。私は金融機関出身でしたが国際業務が中心で、企業の経理は未経験。経営に関するさまざまな課題に直面し、手探りで解決する毎日でした」。
バブルが崩壊した後、系列以外の自動車部品メーカーにサンプル品とカタログを持って飛び込みで営業をしたこともある。
「本来、部品メーカーが飛び込み営業をすることは珍しいらしいのですが、私はそんな業界の慣習も知りませんでした」。
その他にも就業ルールや評価?人材育成システムづくりと真剣に取り組んできた。その結果、2007年には愛知県の優れたものづくり企業の証である「愛知ブランド企業」に認定され、2011年には売上高100億円を超え、社員数300名(派遣を含む)の中堅企業へと成長を果たした。
そんな折、彼の実母が倒れた。看病のために早期退職したが、残念ながら数カ月後に他界。これを機に、彼は再び大学に戻り、もう一度きちんと経営を学ぼうと決めた。
本学の大学院では、多彩な人材に学問の機会を提供するため、すべての研究科で社会人特別選抜制度が設けられている。神谷さんは、この制度を利用して35年ぶりに大学生になった。
「名市大のキャンパスは広くない分、学生と先生の距離がとても近く、和気あいあいとした雰囲気の中で研究できそうなところが気に入って選びました」。
中小企業の経営者の役に立ちたい
神谷さんには目標があった。
これまで彼は金融機関の営業として、また企業の経営者の一人として、多くの中小企業と接してきた。そのうち少なくない会社が長引く不況の中で経営難に行き当たり、廃業を余儀なくされる様子も見てきた。彼の実家の醸造業も例外ではなく、数年前に彼自身の手によって廃業の手続きがなされていた。
「そんな中小企業の経営者は、みんな好い人なんです。でも、彼らは本業のプロであっても、経営のプロではない。だから経営が行き詰まってしまうというケースをたくさん見てきました」。
そんな中小企業を見るたびに、神谷さんは「もっと別の良い方法があったはずなのに」と歯がゆい思いをしていたという。
「だから、私が中小企業の経営を支える力になろうと考えました。それが、私が大学院に戻って勉強を始めた理由です」。
神谷さんが考えているのは、中小企業を理解するための新しい共通フレームの構築だという。
「中小企業で、自社に足りない?足りているという判断の指針となるような経営の標準モデルを作りたいんです」。
本来、それは中小企業診断士や税理士、公認会計士などのいわゆる「士業」や、金融機関、商工会議所などの公的機関が取り組むべき課題である。
「確かに士業も金融機関も、経営学に関する膨大な知識を持っています。でも、それはあくまでも大企業を中心とする経営学の知識です。中小企業は千差万別です。そんな中小企業の経営者が必要としているのは、大企業になるための経営理論ではなく、潰れないためにどうするかという喫緊の問題に対する答えなのです」。
そのためには、中小企業の経営者に近い視線で企業を診断する新しい指標が必要だと神谷さんは考えている。それは、企業の経営者と金融機関という立場で、内側と外側から中小企業の経営に関わってきた神谷さんの偽らざる心の声に違いない。そして、そんなツールを作ることができるのは、神谷さんだけなのだ。
「学生の頃、私は学者になるか、家業を継ぐか迷っていました。その時は家業を継ぐ道を選びましたが、その家業がなくなった今、もう一つの『学者』という夢を追いかけ始めたということです」。
勉強が楽しくて仕方ない
大学院に入って1年目は、常に一番前の席で講義を受けたという神谷さん。最も苦労したのは、経営学の理解には不可欠の数学。特に微分?積分に手こずった。
「高校で微分?積分を習ったのは、担当の先生が生まれるより前ですから。でも分からないのが悔しくて猛勉強しました。社会人の頃と比べると、本当によく勉強するようになりました」。
大学院の2年になると講義を取らない院生が増える中、神谷さんは前期?後期とも2科目ずつ履修した。しかもその合間に時間を作ってフィールド調査を行い、論文を書く。
2科目のうちのひとつ、「経営戦略」の講義を履修している受講者は、神谷さんを含めて7名。年齢も性別も国籍さえもさまざまだが、社会人が多いこともあり、論理だけでなくそれぞれの経験を活かしてディスカッションが行われる。かつて自分が作成した戦略や計画を例に挙げて神谷さんが発表すると、クラスメイトが質問し、神谷さんは一つ一つに具体例を挙げながら答えていく。質疑の後の講義も、先生が一方的に話すのではなく、全員に疑問を投げかけ、自分で考えていくという気風に満ちている。そして講義が終われば雰囲気は一転し、みんなでご飯を食べながらアットホームな時間を過ごす。
「名市大では、本当に多くの先生が親身になって支援してくれます。指導教員の角田隆太郎先生は年齢も一つしか違わないので、研究の話ばかりではなく、家庭の話などを通して良い関係を築けているのも嬉しいですね」。
講義以外にも毎週開催される勉強会や、同期入学の社会人の集まりにも必ず参加する。とにかく名市大で出会った人たちと一緒に勉強するのが楽しくて仕方ない。
「たぶん、学ぶことが好きなんです」。
現在、彼は修士論文の執筆に忙しい日々を送る。テーマは「中小企業の事業承継」について。
「本当は、企業を経営していた頃の経験を元に書こうと思っていたテーマがありました。でも、角田先生から『経験で書くと説得力がなくなりますよ』と指摘され、経験は重要な要素だが、それだけではダメだと気づきました。そこでゼロから自分で調査して書くテーマに取り組むことにしました」。
その研究のために、18社?35名の経営者、後継者に取材を行い、膨大な音声データを文字に起こすという作業もすべて自分で行ったという神谷さん。今後は、中小企業の経営者を育成する仕事をしたいと語る。また大学院で学ぶ中で、中小企業の多様性をベースとする新しい「中小企業論」を自ら構築し、大学で教鞭を取りたいという夢も芽生えてきた。
神谷さんの勉強は、始まったばかりなのだ。
プロフィール
神谷宜泰さん
経済学研究科 博士前期課程 経営学専攻
2012年 大学院経済研究科 博士前期課程入学
2013年 中小企業診断士試験合格
大学院で、自分の子どもと同年代の学生と机を並べ、同じ視線で意見を交わすのが楽しくて仕方ないという神谷さん。また彼のクラスには中国からの留学生が多く、神谷さんはそんな留学生に積極的に話しかけ、コミュニケーションを取るようにしている。理由は、彼がアメリカで留学していた頃、ホームステイをしていたファミリーに親切にしてもらったことを今も覚えているから。「せっかく日本に来たなら、日本に来て良かったと思ってもらいたいですからね」