在学生の声
深夜の研究室で我に返る
中学の頃から、映画「千と千尋の神隠し」に出てくる魔女のように、自分で薬草を調合して薬をつくりたいと思っていたという久永有紗さん。高校生になって「医師や看護師は目の前の患者さんを救うことができるけれど、製薬会社に入って創薬研究をすれば、もっと多くの人を救える」ということに気づき、本気で創薬研究をしようと決めたという。
こうして彼女は本学薬学部の生命薬科学科に進んだ。3年生になり、もともと脳に興味を持っていた彼女は服部光治教授の病態生化学の研究室を選択。この研究室に入って大きく成長することになる。
「研究室では最初に研究テーマを選ぶのですが、私にはまだ自分で新しいテーマを切り開く自信がなかったので、先輩が取り組んでこられたテーマを引き継いで研究することにしました」。
そのテーマとは、脳のたんぱく質を切断する酵素の発見。もしそんな酵素が見つかれば、それは脳疾患の原因である可能性がある。つまり、この酵素を抑えることができれば、将来、アルツハイマー病や統合失調症などに有効な新薬が誕生するかも知れないのだ。
約2年近く、試行錯誤をしながら実験を繰り返した久永さん。しかし求める酵素は一向に見つからない。大学4年の冬になり、大学院に残ってこの研究を継続することを決めていた彼女は先生に相談した。
「今までの方法に行き詰まりを感じていると言うと、マウスを解剖して大量の神経細胞を取り出し、その培養液を精製するという方法はどうかと提案していただきました」。
培養の元となる脳神経細胞は、マウスの胎児の大脳皮質から得る。1匹の胎児から採取できる大脳皮質はわずか数グラム。酵素を同定するためにどれくらいの大脳皮質が必要か分からなかったため、とりあえず約1リットルの神経細胞培養液を確保するために150匹のマウスを用意して解剖することにした。
先生や先輩から何度も「本気でやるの?」と確かめられたが、絶対に自分の力で研究を前進させたいという久永さんに妥協はなかった。
「母マウスを解剖して胎児を取り出し、顕微鏡を見ながら頭を開いて大脳皮質を取り出します。そこから得られる神経細胞培養液をカラムクロマトグラフィにかけて精製するのですが、時間とともに酵素活性が落ちるので、手早く処理しなくてはなりません。この作業が深夜に及び、深夜の一人きりの研究室で『私はいったい何をしているんだろう』と思ったこともありました」。
学会発表の受賞と課題の指摘
しかし、彼女の諦めない気持ちが結果につながった。
「現時点では断定できませんが、脳のたんぱく質を切断する原因と思われる酵素を絞り込むことができました」。
服部研究室では、何か新しい発見があった場合、学会などで積極的に公表し、オープンな議論の中でより成果を高めていくというスタイルで研究を進めてきた。
「しかも私たちの研究室では、研究者自身が学会発表を行うため、私も何度か発表を経験させてもらいました」。
研究科1年の時、彼女は日本の薬学研究の分野で最も権威のある日本薬学会生物部会の「次世代を担う若手ファーマ?バイオフォーラム2012」の演壇に立ち、自ら発見した酵素について発表を行った。この時の彼女の発表は、同部会より『優秀発表賞』を受賞した。
「賞をいただいたことは嬉しかったのですが、服部先生から質疑応答の仕方が良くないと指摘されました」。
実は彼女、発表後の質疑応答で、居並ぶ教授からいくつもの鋭い質問?疑問を投げかけられて「はい」「そうですね」と納得し、素直に引き下がってしまった。服部教授は、これから彼女が研究者として独り立ちしていくために、そこが課題だと指摘したのだ。
「普段から自分の研究についてさまざまな視点で考えていれば、どんな疑問にも『その指摘に関してはこのように考えています」と即座に自分の考えを述べることができるはずです。その時の私には、そんな余裕も力もありませんでした」。
その後も彼女は多くの学会で自分の研究成果を発表した。学生時代、ポスター発表を含めると国内外で7回の学会発表と質疑を経験している。平成25年11月にはアメリカ?サンディエゴで開催された学会でも発表した。
「大学に入った頃は、人前に出て話すようなタイプではなかったのですが、この研究室で朝から晩まで研究し、たくさんの先輩と議論し、学会で話をさせてもらうたびに、とても鍛えられました」。
研究室に残らないという選択
ところで、見つかった酵素は本当に脳のたんぱく質を切断しているのだろうか。
「それを確かめるため、現在、私の後輩と新しいアプローチで実験をしている最中です」。
彼女の在学中に間に合わなくても、近い将来、彼女はこの酵素を最初に発見した研究者と呼ばれる日がくるかも知れない。
「先生からは、研究室に残ってこの研究を続けるように勧められました」。
しかし、製薬会社に行きたいという決意が揺らぐことはなかった。彼女は研究の合間に就職活動を行い、本学卒業生も数多く所属する製薬会社に就職を決めた。
「この研究に未練はあります。しかし患者さんの役に立ちたいという気持ちが強かったので、実用化がまだ先の基礎研究よりも創薬研究を選びました」。
それともう一つ、彼女が就職する企業の研究職には多くの女性がおり、中には子どもがいてもイキイキと研究を続ける女性が多かったことも決め手となった。
彼女が先輩から受け継いだ酵素の研究は、そのまま後輩が受け継ぐことになる。そして彼女は、服部研究室から「妥協しない心」を受け継ぎ、世の中の人のために研究を続けていく。
プロフィール
久永有紗さん
大学院 薬学研究科 博士前期課程2年
2012年 薬学部生命薬科学科卒
毎日研究に多忙な久永さんだが、三歳の頃から続けてきたバレエだけは、どんなに忙しくても練習を休むことはなかった。もちろん発表会の舞台では華麗に舞った。最近、彼女は薬学の研究とバレエは共通点があると感じ始めている。「それは『継続は力』ということです」。この先も、彼女は研究者として、バレリーナとして、そして一人の女性としてしなやかに歩み続けていく。