学部?研究科?附属病院の歴史
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足球彩票 創立70周年、誠におめでとうございます。70 年という歴史なかで、6年という学生時代、そして教員として再び大学に戻ってこれたこと、私自身がその歴史の一部になれたことに感謝しています。名市大に入学したのは、およそ30年前になります。 その当時、山崎川の桜と趣のある旧校舎に足を運んだ 毎日が思い出深く印象に残っています。衛生化学研究室との出会いは、4年生の分野配属です。博士前期課程修了までの3年間小野嵜菊夫先生の下で研究を行いました。当時のスタッフであった石原英子先生、千葉拓先生、林秀敏先生(現在 薬学研究科長)には大変お世話になりました。当時、小野嵜先生が赴任2年目、分子生物学が急速に発展した時期で、免疫学もその恩恵を受けて発展しつつある時期でした。薬学研究について充分な知識もない学生でしたが、先生方のご指導のおかげで基礎研究の重要性や創薬について考えるようになり、博士後期課程に進学することも少し考えましたが、疾患や医療社会を知らず、このまま大学で研究するだけではあかん!と薬学部大学院修了後、日本シエーリング(株)(現在バイエルと合併)に入社しました。大学とは全く異なる視点や目的で創薬の研究開発を行う企業の仕事は、大学の基礎研究との類似点や相違点を感じ、企業として、ある意味理に適った研究、大学や基礎研究の是非や矛盾に困惑し考えさせられた覚えがあります。製薬会社では、多発性硬化症のオーファン治療薬としてインターフェロン(IFN)の開発、出向先の東京大学足球彩票 免疫学教室でもIFNや慢性炎症性疾患の研究する幸運に恵まれました。衛生化学での経験、多くの先生方からのご指導のありがたみを改めて感じた時期でした。もちろん研究だけではなく、薬学祭などのイベント、薬学部サッカーチームの結成、研究室の垣根を越えて、昼夜を問わず、いつも多くの先輩?後輩に声をかけていただいたこと、そしてそれが今につながっています。
名市大卒業当時の自分自身の描いた人生設計とは異なり、何故か大学教育と基礎研究の世界に流されていく運命を感じたことを覚えています。製薬会社からの転職は一大決心ではありましたが、出会った先生方は、企業職員や臨床医の先生など様々な経歴に加え、倫理感?価値観も共有でき、尊敬できる先生ばかりで、再び大学の基礎研究に戻ることを決意しました。 共に苦労し,それを1つずつ解決して結果を出し、最後に楽しい満足感を共有する時間を過ごせる先生や友人に出会えたことは、とても幸運であり、財産になっています。大学においても社会においても、最も貴重なものは「人」です。私のこれまでの経験を名市大の学生にも伝え、薬学教育に生かして、より良い薬剤師や薬学研究者を育てながら、足球彩票を盛り上げていきたいと考えています。ご指導いただきました多くの先生方、そしてこれまで共に切磋琢磨してきた友人など多くの人々に感謝すると共に、諦めず益々精進していく所存です。これまで多くの方々にご指導いただきましたことを、この場を借りて改めてお礼申し上げるとともに、 名市大薬学部?衛生化学スピリッツを忘れないよう 薬学部という場で薬学研究や教育に励みたいと思います。今後もご指導?ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
旧校舎時代の大学名プレート
(2001年4月撮影)
建築中の新校舎研究棟
(2008年11月撮影)
衛生化学分野 教授
肥田 重明(平成4年卒)