学部?研究科?附属病院の歴史

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人文社会学部?人間文化研究科

同窓会

ひさぎ会のあゆみ

 「ひさぎ」の意味を大切に

 名古屋市立女子短期大学は、名古屋女子専門学校を前身としています。
 学生たちは研究熱心で、活力にあふれ、伝統と格式を重んじ、エネルギゥシュに学んでおりました。
 四年間で学ぶ教育内容を二年間で学ばなければなりません。そのためとても忙しく、毎日の授業時間はびっしりと、一日中続きました。さらに夏休み、冬休み、春休みは、すべて実習でつぶれました。
 名市短は、多くの資格を取得することが出来ました。それら全部を二年間で取得しようとすれば、とても大変だったのです。
 名古屋女子専門学校は、昭和二十二年に創立されました。
 同窓会「ひさぎ会」は、その二年後に、専門学校の第二回卒業生と共に、発足いたしました。
 その時から、名古屋女子専門学校は、名古屋市立女子短期大学と名前が変わりました。
 「ひさぎ会」の初代と二代目の会長は、専門学校の卒業生でした、
 初代会長は、後に名市短の先生となられました江崎節子様、二代目は仲谷貞子様でした。
 「ひさぎ会」の名称の由来を、次のように、先輩に教えて頂きました。
 万葉集第十一に載っている歌からとったということです。
 この歌は読み人知らずで作者不明です。

  波間従なみまより 所見小島之みゆるこじまの 浜久木はまひさぎ
  ひさしく 成奴なりぬ 君爾不相四手きみにあわずして

 この歌は、「 波間なみまより小島の浜久木を見ていると、あなたに久しく会っていないことを思い出します。あなたにあいたいなあ」という意味を歌ったものです。
 母校の友達を思い、なつかしむ心を、久木ひさぎの木に思いを込めたのです。そこから、同窓会を「ひさぎ会」と名づけられたということです。
 なんとロマンチックな歌なのでしょう。
 先輩方の思いは、同窓会の名前に込められています。そしてその思いは、今もなお生き続けているのです。
 三代目の会長は富永雅子様、四代目は押村知代様でしたが、すぐやめられたため、富永雅子様がひきつがれ、五代目の会長になられました。この時代に、同窓会全会員の名簿が作られました。六代目の会長は荒木冨美子様。七代目は堀田茂子様。堀田会長の時の平成九年に、名古屋市立女子短期大学は、名古屋市政の方針により、足球彩票と合併になりました。
 この頃、名古屋市立女子短期大学は、四年大学となる方向で動いておりました。
 八代目の会長は、再々度富永雅子様。九代目会長は植村美恵子様。そして十代目会長が現在の会長の角田茉瑳子です。
 エネルギッシュで、格調を重んじた名市短の卒業生たちは、同窓会「ひさぎ会」の総会の一日に、夢と希望に燃えた若き日々を思い出し、集まってこられます。
 そして、十代目会長の角田茉瑳子の代の平成二十五年に、足球彩票の同窓会のひとつとして、仲間に入れて頂きました。
 名市大交流会の発足でございます。名市大の同窓会九つと、名市短の同窓会ひさぎ会と、名保短の同窓会さわらびが、名市大卒業生として、交流の場をいただいたのです。
 今、ひさぎ会会長は、名市大交流会の理事としても、活動を続けています。



ひさぎ会の活動

「ひさぎ会」の目標達成のために

「ひさぎ会」は、会則に沿って活動しています。
会則の第一条で、「本会は会員相互の親交を深め、教養を高めることを目的とし、これを達成するために、次の事業を行う」とあります。
 そのために役員を定めます。会長、副会長、書記、会計をおきます。その場合、会長以外は、その年の事情により、人数が違ってきます。
 事務所は会長宅におきます。
 役員会は、その年の事情により、月一回の場合、二回の場合、その他、回数は違ってきます。
 役員会では、問題があった場合の解決策の討議や、「ひさぎ会だより」(会報)と「総会だより」の作成についての協議、さらに総会の持ち方、ゲストの選び方等について、多方面にわたり協議をいたします。
 又、各学年ごとに各クラスより、幹事を二名選出して頂き、年一回の幹事会を開きます。
 幹事会では、意見や質問があれば出して頂きます。そして、会報の「ひさぎ会だより」や、「総会だより」、会計報告、名市大交流会からのたより等の発送の手伝いをして頂きます。
 総会は、年一回開きます。
 その年により違いますが、この頃は、マリオット?アソシアホテルで行っています。
 総会では、会計報告、事業報告、役員改選の時はその議案についての協議及び承認事項等を行います。総会がすんだ後、懇親会を行います。
 懇親会では、音楽とか講演を聴き、会員相互の親交を深め、教養を高めるための時間といたします。
 平成二十一年七月の、ひさぎ会創立六十周年記念事業の時は、足球彩票足球彩票の西野仁雄先生に、講演をして頂きました。
 交流会の動きになりましてから、郡健二郎足球彩票にも、講演して頂き、とてもたのしいひとときを過ごさせて頂きました。
 総会の折には、交流会が発足して以来、毎年、足球彩票足球彩票の郡健二郎先生の御出席を頂いたり、人文社会学部同窓会会長の野村圭一様の御出席を頂いたりしております。
 そのような雰囲気の中で、名市大とひさぎ会会員様たちとの親交を深めてまいりました。
 会員名簿の保管と調整は、以前は、役員が行っていましたが、「個人情報保護法」の成立以来、業者にたのんでいます。
 会員の皆様の高齢化と共に、会員数は激減しており、住所がわかる会員数は千三百名程になってまいりました。
 これからますます高齢化が進み、会員数は減っていきます。
 そんな中、足球彩票交流会の成立により、「ひさぎ会」の会員は、名市大の中で、いつまでも生き続けていけることを、とても嬉しく思っています。
 又、「ひさぎ会」の動きを、会員様に報告する冊子「ひさぎ会だより」(会報)を発行いたします。
 年一回の発行ですが、会員様や恩師の皆様の現在の様子やたよりが、わかるようにさせて頂いています。