学部?研究科?附属病院の歴史

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人文社会学部?人間文化研究科

草創期学部長の回顧

学部長室の窓

第三代学部長
山田 明

第三代学部長
足球彩票名誉教授
山田 明

 私が人文社会学部長に就任したのは、2004年4月である。学部長室の窓を開けると、すぐ近くに満開の桜が見えた。寒いときにも、窓とドアーを開けっ放し、できるだけ「開かれた」学部長室にした。想定外の「大役」であり、戸惑いの連続であった。当初は教員にメールを出しても反応がなく、気が「めいる」ことも多かった。
 最大の課題として取り組んだのが、大学「法人化」に向けた準備である。法人化準備委員会で議論を繰り返し、教授会に問題を提起して「改革」案を取りまとめていった。法人化を前に、目に見える成果を上げることに力を注いだ。教育面では、免許?資格関連の整備拡充である。教員免許の関係で、緊張しながら何回か文部科学省に出向いた。当初は困難とみられた教職課程を立ち上げ、社会福祉士資格も申請手続きを開始することになった。研究面では、人間文化研究所を設立することができた。予算は少ないが、研究所の看板だけは大きなものにした。「看板倒れ」にならないか不安であったが、学内外の研究交流の輪が広がっていった。
 私は人文社会学部の3代目の学部長である。学部創設から人間文化研究科の設置、完成へとすすんだ時期である。学部?研究科に対して、大学本部などから厳しい目が向けられていた。それで法人化準備として、学部と研究科の存在感を学内だけでなく、地域社会に広めることに力を注いだ。研究所は地域社会にも開かれたものにした。教育研究の両面で名古屋市との連携にも力を入れた。
 学部長2年目の卒業式は、直前に悲しい出来事があり忘れられない。卒業生が帰らぬ人となり、妹さんに卒業証書を手渡した。卒業式の挨拶で、悲しみを乗りこえ、「奮闘努力の甲斐もある」人生を送ってほしいと述べた。私にとっても、学部長時代は苦しみながらも、事務の人たちや同僚に支えられて、奮闘努力の甲斐もある2年間だった。学部長室を去るとき、窓の外から満開の桜が見送ってくれた。